気がつけば。

ここでブログを始めて1年経っておりました。おめでとう1周年! わー、でも、1年で83日分しか書いてないのな(笑)最近はめっきり普通の日記と化していますが、まあ、ブログだしいいか。ユルい感じでこう、だらっと続けていこうかと思います。
前日のタイトルにぼそっと書きましたが、今、ドラマ「天体観測」の再放送を見ています。いやーなんつか。これがどうにも鬱になる内容でねー(笑)少し先のサブタイトルに「友人の死」というのがあるらしいんですが、今現在誰が死んでもおかしくない状態です。構造としては、皮肉な言い方をすると「大学のサークル仲間で超仲良しなんだけど、みんな社会に必要とされてない人たちの集まり」という、なんていうかこう、鬱だ(笑)恐ろしいことに登場人物皆さん「家族」が還る所じゃないんですよ。明らかに家族が出てくるのは恭一(伊藤英明)と健太(山崎樹範)のとこだけで、まあ、あと一組、結婚して家庭を持ったサトミてのもいるんですが、ここは「家庭」でしかないからなあ。家族が匂うところは大体機能不全だし、匂わせないキャラは一切家族の話をしないという、なんていうかトラウマまみれのキャラたちが織り成す人間不信ゆえのすれ違いがてんこもりというすさまじいドラマです。その一言が言えなくて、狂おしいほど知りたいそれを確かめることが怖くて、「信じる」という言葉で自らを縛って流されて自爆するという展開がなんていうか凄いです。
今日見た話は恭一さんが泣き崩れるほどショックを受けているところにコイビトとされている美冬(小雪)から電話がかかってくるんですけど、そこでどうしても美冬にすがることが出来ない恭一さんがなんていうか哀しくて。表面的にはとても仲のよいサークルメンバーなのですが、全員が意地っ張りで弱い自分をうまく晒せなくて、だからこそ必死で他人の面倒を見てしまうという。「心配かけたくなくて」「弱ってるとこは見せたくなくて」強がる台詞が回りを傷つけ続けるという悪循環。これが痛くなくてなにが痛いんだ。例えるならそう、柱の角に足の小指をぶつけたような痛み。(ほんとか?)ものすっごく痛いんだけど、で、誰もが経験しているのですごく判りやすい痛みなんだけど、そんなとこに足ぶつけてる自分が恥ずかしくてうまく言えない、みたいな。毎回が各キャラのゲシュタルト崩壊の連続なので、世が世ならみんなで練炭自殺もありそうな勢いです。各キャラごとに「現実」とやらを親切に教えてくれるヤな大人がくっついてるし。
そんなこんなで見るともれなく鬱になるのですが、なんでか目が離せないんだよなあ。登場キャラが押しなべてセンシティブで脆く、キレイな言葉に盲目的にすがっては傷ついた自分を自分の弱さのせいだと自己嫌悪。そして、理不尽な現実に耐えることこそ強くなるってことなんだと頑張りすぎる姿がどうにも見ていてつらいです。(じゃあ見るなよ)それでも見てしまうのは、やはりどこかで感情移入しちゃうからなんだろうなあ。登場人物にもらい泣きして時折泣けてくるんですけど、作中のキャラが泣いてそこそこすっきり出来ているのに対し、もらって泣くとどうにもどんよりしてしまいます。最後まで見ればカタルシスはあるかなあ。。